ねこ

2011年8月15日月曜日

知られない歴史

名古屋市の北のはずれで、高校時代を過ごしました。

高校の裏手は、もう、豊山町(名古屋空港のある所)だったのですが、その頃は豊山村でした。
大多数の生徒は、市バスに乗って、川を渡って高校に来ました。田畑が多いので、田舎って感じたのでしょうね。
先生も「川こっち(名古屋中心の方)は都会、川向こう(高校のある辺)は田舎、文化がない。」という認識だったので、生徒達も、そんな意識を持っていたんでしょう。
今から考えれば、すごく認識不足。見える物でしか判断していなかった。

歴史は、名古屋中心部の方が浅く、川向こうの方が実は発展していたのです。
徳川家康の命で、川向こうの清洲から、名古屋に街すべてが移転しちゃったんですから。。。

川とは庄内川なのですが、水害が多く、そのため、川のない、名古屋の台地に、名古屋城を建設することになったのです。
名古屋城は、江戸を大阪から守るために、家康がいろいろな人に命じて建てさせました。そして、人工の川、堀川を作り、まちづくりをしたのですが、それも、一からでなく、清洲から、街も人も全部移動させたのです。それが、清洲越え。

小学校までは、名古屋城の側に住んでいたけど、そんなこと、最近まで知らなかった私も認識不足ですが、他の人に話しでも、清洲越えのことはあまり知られてない様子。

なので、都会ではないけれど、昔ながらのたたずまいが残る庄内川の北地域に、知られざる歴史があるような気がします。
身近な何の変哲もない、川や神社や道が、実は、歴史に大きく貢献していると思ったら、なんか、わくわくしますね。

小学校の時、こちらに引っ越して、川をわたるときの橋の名前が「三階橋」「水分橋」。変わった名前だなあと思っていたら、最近になって、由来がわかりました。

庄内川で、水を分水し「水分橋」、その分かれた流れをトンネルで矢田川の下を通し「三階橋」、その流れは、名古屋城の堀川へと繋がっています。

これらの橋にそんな意味があったとは。。トンネルに船も通っていたそうで、歴史の遺物も見られたみたいですが、最近この橋は、新しく架け替えられました。
新しくなっていくのはいいけど、いろいろな歴史、忘れられていきそう。

歴史を知ることで、今の自分の生活がいろいろな人々の仕事によって成り立っているんだなって、感謝していきたいです。

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